日本女子プロレスリング協会 1963/11/23(土)の興行のチケットの半券  # Yahooオークションにおける落札価格の実績:  # 2025/05/25 22:17 円(開始価格2000円) 11月23日(土)5時開始 ¥1000 東大阪中央体育館(近鉄、八里駅下車)     女子プロレス世界選手権試合   世界選手権者 ファビュラス・ムーラ   全米選手権者 トニー・ローズ   マット界の妖精 プリンセス・リトル・クラウド   バッファローの美女 パティ・ネルソン   挑戦者順位   1.小畑千代    7.仲 みどり   2.佐倉輝美    8.山田せつ子   3.若葉かおる   9.三原八重子   4.花田あけみ  10.林 としみ   5.藤原トミ   11.泉 トモ子   6.中島まゆみ   特別出場 小人プロレス   ファビュラス・ムーラ、トニー・ローズ?、小畑千代、佐倉輝美の写真   11月23日(土)5時開始 西側 12列 24番 # 「西」、「12」、「24」はゴム印   ¥1000 東大阪中央体育館(近鉄、八里駅下車)  # ほぼ同じ内容のチケット(日付不明)で、場所が  # ¥1500 金山体育館  # となっているものもあり。 パンフレット 女子プロレスリング世界選手権試合 GIRL WRESTLING INTERNATIONAL CHAMPION MATCH 1968  昭和43年3月1日  # Yahooオークションでの落札価格  #  2012/02/05 n103256175 45,500円  #  2012/04/16 g113810151 13,000円  #  2012/06/10 b135958445 4,600円  ごあいさつ   日本女子プロレスリング協会 会長 中村守恵    (略)    私は昨年11月に    渡米致しまして、ワシントンDCにWWWF会長ビンセント・マク    マホンさんを尋ねたのであります。    (略)  アメリカからやって来た4人の凄まじき女子レスラー   男まさりの荒ワザ師 世界チャンピオン フェブラス・ムーラァ FABULOUS MOOLAH   波うつ金髪のファイター ジョイス・グレーブル JOYCE GRABLE    身長5呎4吋 重量135ポンド 36-24-36 呎   パンチのきいた美人レスラー パット・シェリー PAT SHERRY    身長5呎5吋 重量138ポンド   密林の敏捷な雌豹!! ベティ・ブッチャー BETTE BOUCHER    身長5呎2吋 重量133ポンド  世界選手権奪取にファイトを燃やす日本女子プロ陣   日本重量級チャンピオン 巴ユキ子 YUKIKO TOMOE    体重72キロ・身長172センチ 昭和12年生・出身地 宇都宮   日本中量級チャンピオン 山口洋子 YOKO YAMAGUCHI    体重67キロ・身長150センチ 昭和15年生・出身地 東京   日本軽量級チャンピオン 遠藤恵子 KEIKO ENDO    体重47キロ・身長153センチ 昭和15年生・出身地 東京   元日本重量級チャンピオン 柳みゆき MIYUKI YANAGI    体重70キロ・身長164センチ 昭和14年生・出身地 東京   日本軽量級第一位 岡田京子 KYOKO OKADA    体重50キロ・身長152センチ 昭和24年生・出身地 宮城   日本中量級第一位 中島まゆみ    体重62キロ・身長164センチ 昭和23年生・出身地 神奈川    # 衣装がセパレート水着   日本軽量級第二位 京愛子    体重50キロ・身長152センチ 昭和25年生・出身地 宮城   # 離脱者大量発生&全日本女子プロレス結成よりも前の時期であるため、   # 中島まゆみ、京愛子、岡田京子が同一の団体に属している。   日本重量級第二位 宮本芳子    体重77キロ・身長150センチ 昭和26年生・出身地 宮城  日本女子プロレスリング ★発足から再建まで★ 石川輝   写真 進駐軍慰問に来日した当時のミルドレット・パークとルース・ポートキャリー   写真 猪狩定子  # 立ち姿   写真 田山勝美  # 立ち姿   写真 法城寺宏衣 # 立ち姿   写真 小次郎こと佐々木一恵  # 立ち姿    日本における女子プロレスリング会は、いつ、   どうして始まり、どんな盛衰をたどって現在に至   るのか―。    これを知っておくことは、今回の日米対抗によ   る初の世界選手権大会を観戦されるファンにとっ   ても、参考になることであり、試合の興味をより   一層深くさせることに役立つのではないかと思う。   私の目を通じて見た日本女子プロレスリング界の   歴史の歩みを、思い出すままに書いてみよう。             ★    昭和29年といえば、いまからもう14年のむかし   になるが、この年は日本プロレスリング界にとっ   て、忘れることのできない歴史的意義を持つ年で   ある。    (略)力道山がこの年の2月、初めて米国からベン   ・マイクのシャープ兄弟(カナダ)を日本へ招へ   いして、(略)日本全国に一大旋風を巻き起こ   した年だからだ。   (略)    シャープ兄弟が帰国して、プロレス台風もやっ   と一過したこの年の秋のことである。日本のファ   ンは、もう一つのおどろくべき訪問客を海外から   迎えて、興奮のウズに巻き込まれた。それは米国   から美人ぞろいの女子プロレスラー一行6名が、   初来日したからだ。    この米国女子プロレスラーの来日によって、日   本の女子プロレスリング界は火をつけられた。そ   の火はたちまちにして全国に燃えひろがり、男子   プロレスとともに女子プロレスの黄金時代を築い   たのである。             ★    このことをくわしく書く前に、ではそれまでに   女子プロレスは全くなかったのか、というと、そ   うではない。実は、その芽生えはすでに6年前に   あったのである。    終戦直後の混乱がまだ続いていた昭和23年の2   月ごろ、東京都下三鷹市大沢のキリスト教大学裏   に間口3間、奥行4間の小さな道場があった。そ   こで、奇妙な練習が行なわれていた。若い水着姿   の女の子が、取っ組み合い、投げ合っていたので   ある。    近所の人たちは、若い女の身で、黄色い声をあ   げながらあられもない荒わざを演じる姿に、いっ   たい何事が始まったのかと、おどろきあきれてい   た。    このときの女性が、猪狩定子、田山勝美らだっ   た。猪狩定子の兄は、当時ボードビリアンとして   人気のあったパン・ショパン猪狩兄弟である。    実は猪狩兄弟は、終戦によってすべてが男女同   権になったのだから、ひとつ女の子にプロレスリ   ングをやらせ、これをショーとして舞台にあげた   ら客に受けるにちがいない――と思った。そこで   妹の定子らをはじめ7、8名の女の子を集めて、   柔道の心得のある兄弟がレスリングを教えたので   ある。これがそもそも日本における女子プロレス   リングの芽生えだった。    だが、最初は東京の劇場では相手にされないの   で、もっぱらドサまわり(地方巡業)をしていた。   しかも、女子プロレスといっても地方の客にはな   んのことだかわからないので、「ガーター争奪戦」   と名付けた。つまり女子のが互いに相手の靴下   止めを取り合うというわけだ。苦しまぎれにつけ   た名称とはいえ、なかなかユーモラスである。    そして2年後の25年、猪狩兄弟は初めて東京の   晴れの舞台日劇小劇場で、バーレスクに女子プロ   レスを加えることに成功した。これはかなり人   気を呼んだが、意外の横ヤリが入った、警視庁か   ら「子女のプロレスは軽犯罪法にふれる」として、   禁止命令がくだされたのである。    猪狩兄弟によって始められた女子プロレスの芽   も、実を結ぶまでには至らず、これを機に解散同   様となってしまった。    そこへ、天から降ったように米国女流レスラー   の来日となったのである。    さて、一行の顔ぶれは、次のような豪華なもの   だった。    世界選手権保持者 ミルドレッド・バーク 150ポンド。    ニューヨーク州選手権保持者 メイ・ヤング 150ポンド。    カリフォルニア州選手権保持者 ルース・ポートキャリー 135ポンド。    中南米選手 リタ・アーテニーズ 145ポンド。    イタリア選手 グロリア・バラチニー 135ポンド。    スェーデン選手 ミルドレッド・アンダーソン 140ポンド。    試合日は11月19、20、21の3日間、午後6時か   ら東京・蔵前国技館。主催はサンケイ新間社、後  # 原文のまま   援は社会福祉法人友愛十字会だった。ところで、   これだけの一流選手がどうして日本へやってきた   のか。これを招へいしたプロモーターは、一体だ   れだったのか。サンケイ新間社がやったのか。ノ  # 原文のまま   ーである。実はこれは米軍慰問だったのである。   軍慰問のヒマに、いわば小づかいかせぎにやった   わけだ。当時、米軍当局の方針としては、軍の費   用で来日しても慈善興業ならば出場を許した。だ   からこのバーク嬢一行も、日本の身体障害者救済   基金募集ということで許可されたのである。新聞   社は主催の名目と、PRその他に協力したわけで   ある。一行は11月10日午後零時50分羽田空港着の   パンアメリカン機で到着し、オープンカーに分乗   して銀座から上野をパレードして、宿舎の青山ゲ   スト・ハウスに入った。    そして、翌11日午後2時から、青山レスリング   会館で公開練習を行ない、みごとに均整のとれた、   まるで彫刻をみるような肉体を初めて報道陣に披   露した。しかも一同、美人コンクールの決勝に残   ったような麗人ばかりとあって各紙は大きく取り   上げたので、その反響はすばらしかった。一行は   12日には日本橋浪花町の日本プロレス道場に練習   中の力道山を訪問した。(略)    18日の午後6時半から浅草国際劇場で花やかな   前夜祭。松竹歌劇団の生徒から花束が贈られ、女   子選手からは入場券引換えのラッキーボールが客   席に投げこまれた。   いよいよ試合は第1日目の19日を迎えたが、フ   ァンはぞくぞくと会場の蔵前国技館へ詰めかけた。   主催のサンケイは超満員の1万5千と報じたが、   写真 小畑千代と小畑紀代    ふたり向かい合って組み合うポーズ   写真 大井ノリ子と豊田善美    ひとりはヒンズースクワット、他方はカラテチョップ風ポーズ   写真 万年東一氏   写真 立花蓉子   写真 東富士子   写真 奄美百合子   ややオーバーとしても、一万を越えたことはたし   かだった。    観客の大部分が男性ばかりというのも、変わっ   た風景だった。そして、なによりもファンをおど   ろかせたことは、彼女らのテクニックのすばらし   さだった。彼女らは男子レスラーにも劣らぬ、い   や、むしろそれをしのぐばかりの高度のわざをリ   ングいっぱいにくりひろげてたかが女のやること   と思っていた観客のどぎもを抜いた。    たとえばエアプレーン・スピン(飛行機投げ)   やバック・ドロップ(岩石落とし)、ドロップ・   キック(飛び蹴り)、アリゲーター・ホールド(ワ   ニ攻め)などの多彩なわざを連続して見せ、また   女性の特技であるカミつくこと、頭髪をひっぱる   ことなど荒っぽいこともやった。そして金髪美   人がのたうちながら、「キャーッ」、「ワーッ」   とわめく女性特有の黄色い悲鳴は、男性の心を妖し   くゆさぶった。満場の観客は、   ただもう完全に彼女らの演技に   圧倒され、陶酔し、男子プロレス   では味わえない、女子プロレス   だけのダイゴ味にひたったので   ある。こうしてあとの2日間も   満員をつづけ、一行はこのあと   大阪府立体育会館、神戸王子公   園体育館、京都アイスパレスで   も興行したが、どこも超満員だ   った。ところで、この試合に日   本側からも女子レスラーが出場   したことを忘れてはなるまい。   それは猪狩定子、田山勝美、橋   本雅子、法城寺宏衣の4選手で   ある。これは、米国から女子レ   スラー来るということを聞いて、   猪狩兄弟が「チャンス到来」と   ばかり、散らばっていた選手を   いそいで集め、「東京女子プロレ   スリング協会」―のちに「日   本女子プロレスリング倶楽部」   と改称―を組織したのだ。    このクラブには、ローズ勝見   浅草美人座の元踊り子のミス・   ポテトとメリー京子らがいた。   ポテトと京子は、凋落のストリ   ップ界に見切りをつけて、女性   職業の新分野に進出したわけで   ある。    これより先き、前年の28年9月、広島市のキャ   バレー「広島別荘」では、店のダンサーにレスリ   ングを教え、ショーとして見せることを始めた。   これが案外に客に受けたので、横山社長はこれを   健全なスポーツとして育てたいと考え、約15名を   合宿させてトレーニングをさせていた。    東京では、アメリカ選手の来日と同時に万年   東一氏が名乗りをあげ、「全日本女子プロレスリン   グ協会」を結成、世田谷区上馬に練習場を作って   選手育成に着手した。ここには“小次郎”こと   佐々木一恵、18才の若さながら170センチ、78キロの   女丈夫東富士子、奄美百合子、高山みどり、山本芳   子、木村正子、京玉枝、本堂活子、双見和子、同   昭子らの選手が生まれた。    越えて30年1月には、浅草田島町の東洋興業の   「東京女子プロレスリング協会」が発した。立   花蓉子、月村志津子、藤原登美、小畑紀代、小畑   千代、伊藤静江らが出た。さらに同年2月、藤田   卯一郎氏が足立区千住緑町に「東京ユニバーサル   女子プロレスリング団」を結成した。ここは中学   校や高校を卒業したばかりのティーンエイジャー   が多く17才で怪力の豊田勝美、柔道二段の大井   のり子、久保とも子、平戸スミ子らが育った。    また大阪には、山口利夫氏の全日本プロレスリ   ング協会女子部が発足、極東女子プロレスリング   クラブもできた。    これらの各チームは、東京では浅草の公園劇場   をはじめ、近県各地を興行して歩いていた。    このように女子プロレスリングは急速に発展し   てきたので、このままでは乱立状態となり、かえ   って発展を阻害するから、統制団体をつくろうと   いう意見が起った。    そこで、30年8月、全日本女子プロレスリング   協会、東京ユニバーサル女子プロレスリング団、   東京女子プロレスリング協会、東洋興業、広島別   荘女子プロレスリングチーム、大阪の全日本プロ   レスリング協会女子部の6団体で「全日本女子プ   ロレスリング連盟」を結成した。    連盟理事には次の7名が選ばれた。    藤田卯一郎。万年東一、田中整、稲葉之亨、関   根長吉、中村守恵、山本正作。   (略)   そこで連盟では、「第1回全日本女子プロレスリング王座決定戦」   の企画を進め、30年9月10日、11日の両日午後6時から東京両国の   国際スタジアムを会場として行なう具体案   をつくった。そしてこの後援を読売、報知の両新   聞社に頼んだところ、両社も承知した。    晴れの初代全日本チャンピオンは、次の各選手   の獲得するところとなった。    フライ級 吉川律子(広島)    バンタム級 立花蓉子(東京)    フェザー級 小畑紀代(東京)    ライト級 久保とも子(ユニバーサル)    ミドル級 東富士子(全日女協)    ライトヘビー級 山本芳子(全日女協)    [タッグチーム]    ライト級 猪狩定子、田山勝美組(全日女倶)    ミドル級 豊田善美、大井のり子組(ユニバーサル)    こうして女子の日本一も決まり、女子プロレス   リング界も軌道に乗ってきて、各チャンピオンの   初防衛戦は翌31年1月4、5の両日午後6時から、   国際スタージアムで行なうことになった。   (略)このタイトルマッチの結果、バンタム級チ   ャンピオン立花蓉子(東京)は吉葉礼子(全日女協)   の挑戦を引き分けで防衛。フェザー級チャンピオ   ン小畑紀代(東京)は男性的な奄美百合子(全日本   協)に敗れてタイトルを失った。ミドル級チャン   ピオン東富士子(全日女協)もまた伊藤静江(東京)   のヒザ蹴りにKOされて王座を譲った。しかし、   ライトヘビー級の山本芳子(全日女協)は香取由美   (全日女倶)の挑戦を問題にせずフォールし、タイ   トルを防衛した。    タッグの方は、   パンフレット IWWA世界女子選手権争奪戦 GIRL WRESTLING  1968年  未入手  # Yahooオークションでの落札価格  # 2013/10/05 30,500円  コーラ・コムブス  メイ・グッドナー  パナマ・フランコ  小畑千代  佐倉輝美  若葉かおる?  山根美千? パンフレット IWWA世界女子選手権争奪戦 GIRL WRESTLING  1968年  未入手  # Yahooオークションにおける落札価格の実績:  # 2013/10/05 22500円  # 2025/01/27 21:04 開始価格32980円 入札無し 1969/06/01興行のチケット半券付き  謎の宇宙仮面 アストロ・エッティマスク  クレイシー・ケイト  西部の殺し屋 ベティー・フォスター  フロリダの美女 タティ・オハラ  IWWA世界チャンピオン 小畑千代  マットの女豹 佐倉輝美  紅の斗女 若葉かおる  美貌の野獣 中島まゆみ  有田ゆき  異色アイヌ娘 エオマップ・ピリカ  月田ひろみ パンフレット IWWA世界女子選手権争奪戦 GIRL WRESTLING  1968年  未入手  # Yahooオークションでの落札価格  # 2013/10/05 23,200円  表紙   下 小畑千代?  パール・ブライアント  リタ・マルズ  タティ・オハラ  香川なぎさ パンフレット 世界選手権試合シリーズ GIRL WRESTLING  # Yahooオークションでの落札価格  # 2015/04/13 10,000円  発行日表示無し?  1968/11/06〜1968/12/02の興行予定を掲載  表紙   文字    主催 日本女子プロレスリング協会・東京12チャネルTV    後援 東京スポーツ新聞社・中京スポーツ新聞社・大阪スポーツ新聞社    提供 N.C.E.C.  ごあいさつ   東京12チャンネルTV 事業部長 松井彰   日本セントラル・エンターティメントK.K. 取締役社長 中村守恵   日本女子プロレスリング協会 理事長 横井正隆  日本女子プロレスリング協会 所属選手   小畑千代(東京都出身) 158 66   佐倉輝美(東京都出身) 153 54   藤原トミ(東京都出身) 172 65  # 藤原登美と同一人物か   花田あけみ(東京都出身) 155 54   若葉かおる(茨城県出身) 160 58   中島まゆみ(神奈川県出身) 162 60   仲みどり(香川県出身) 164 54   間 広子(東京都出身) 155 54   山田せつ子(東京都出身) 155 55   三島ルミ(静岡県出身) 170 95   伊藤京子(大分県出身) 158 60   泉トモ子(東京都出身) 165 70 1969/06/01(日)?興行のチケットの半券  日米 女子プロレス     世界選手権戦  (縦書き)  アメリカ・_・レスラー大挙(?)_  アストロ・エティ・マスク  クレーシイ・ケイト  シャロン・リー  パティ・オハラ  特別出演 小人プロレス       スマイリー・キング       東      健二  小畑千代  中島まゆみ  若葉かおる  月田ひろみ  有田ユキ  アイヌ娘 エオマップ・ピリカ  6月1日(日)5時半開場 B席 当日 1,200円 大阪府立体育館       6時半開始